新海誠監督の映画「君の名は」は2016年に公開され、多くの人々に知られる大ヒット作品です。
時間と場所が複雑に交差するこの映画は、見る人の頭を使わせる作品ですよね。
その中でも、おばあちゃんが語る「結び」という言葉には深い意味があります。
「このセリフの意味がよく分からなかった」という声も多く聞かれます。
今回は、「君の名は」に登場するおばあちゃんの名言「結び」の意味について解説していきます。
「君の名は」おばあちゃんの名言「結び」とは?
「結び」とは、「君の名は」のストーリーを象徴する重要なワードです。この言葉は三葉のおばあちゃんのセリフに由来します。まず、「結び」のセリフを振り返ってみましょう。
「結び」とは何か?
寄り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それが結び。水でも、米でも、酒でも、何かを体に入れる行いもまたムスビと言う。体に入ったものは、魂とムスビつくで。だから今日のご奉納はな、神さまと人間を繋ぐための大切なしきたりなんやよ。
糸を繋げることも結び。人を繋げることも結び。時間が流れることも結び。この結びがなかったら、瀧と三葉は知り合うこともなく、糸守町の住民が彗星災害から救われることもなかったのです。
「結び」という言葉は、この映画を象徴するものです。結びの意味を詳しく考えてみましょう。
「結び」のセリフの意味を解説
結びとは「神様の力」とも言えます。『神によって体の中に結合せられた魂が成長する。肉体と霊魂との間に生命を生じさせる。そんが結びの神様と言えるのです』糸を繋げることが「結び」と呼ばれ、組紐を作ることそのものが神の存在を表しています。また、何かを飲み食いし、体に入ったものを魂と結びつけることも「結び」です。口噛み酒をご神体へ奉納することは、神と人間を繋げるためのしきたりとも言っています。
しかし、宮水神社の組紐の文様や神楽舞の意味については、劇中で詳しく説明されていません。一葉のセリフによれば、今(2013年)から200年前に糸守町の草履屋の山崎繭五郎の風呂場から火が出て、神社も古文書も焼けてしまい、組紐の意味することが正確には分からなくなっています。
それでも、「時には戻って、途切れ、またつながり」を繰り返すことを意味していると考えられます。「意味は消えても、形は決して消しちゃいかん。形に刻まれた意味は、いつか必ずまたよみがえる」という言葉が示すように、また集まって形をなすこと、途切れて分かたれること、これは「結び」の異なる表現方法にすぎません。
糸をつなげる、人をつなげる、時間が流れるのも結びです。突然つながった瀧と三葉の二人。入れ替わり、また戻る二人の心と体。途切れたり現れたりする記憶や思い出。
そして3年の時間を遡る時間の捻じれ。「結び」とはとても難しく深い言葉なのです。
まとめ考察
新海誠監督の映画「君の名は」は、時間と場所が複雑に絡み合いながらも、深い意味を持つ物語です。この作品で特に印象的な要素の一つが、三葉のおばあちゃんが語る「結び」という概念です。この言葉は、映画全体のテーマを象徴しており、物語の核心に迫る重要な意味を持っています。
「結び」とは、物理的な結びつきだけでなく、人々の心や魂、時間や運命までも結びつける力を意味しています。この概念を通じて、新海監督は、私たちの人生や関係性がどれほど複雑で、時に絡まり、途切れながらも、再び結びつくことができるということを伝えようとしています。
物語の中で、主人公の青井葦人とヒロインの三葉が出会い、心を通わせる過程は、この「結び」の象徴的な表現です。彼らが時空を超えて繋がり、互いに影響を与え合うことで、個々の成長や運命が変わっていく様子が描かれています。このように、結びつきの力が、個人だけでなく、コミュニティ全体に影響を及ぼすことを示しているのです。
また、「結び」は神聖な力とも関連付けられています。神社の儀式や組紐の制作といった行為は、神と人間を結びつける重要な役割を果たしています。これは、新海監督が、伝統的な文化や信仰が現代にもたらす影響を強調している部分でもあります。神聖な結びつきが、現実世界の問題を解決する鍵となることを示唆しているのです。
新海監督がこの作品を通じて伝えたいメッセージは、私たちがどれほど離れていても、どれほど異なる時間や場所に存在していても、人と人との結びつきや、過去と未来のつながりは絶えず存在し、私たちの生き方に影響を与え続けるということです。人生の中で遭遇する複雑な状況や困難を乗り越えるためには、この「結び」の力を信じ、育んでいくことが大切であるということを、物語を通して示しているのです。