『君の名は』は、何度も鑑賞して理解が深まる魅力があります。私も2回映画館で鑑賞しました♪ そして、物語の最後で2人はどうなったのでしょうか? なぜ最後に再会したのでしょうか? 「かたわれどき」が鍵を握っています。 そこで今回は、『君の名は』の最後の再会について考察してみたいと思います。
君の名は――最後の謎に迫る
再会を果たした瀧と三葉
瀧と三葉が最後に再び巡り合うことができたのは、いくつもの条件が奇跡的に重なった結果でした。その鍵のひとつとして注目されるのが「かたわれどき」という特別な時間です。
なぜ2人は再会できたのか
瀧と三葉の入れ替わりは、2013年の彗星の落下とともに始まりましたが、その後しばらくして途絶えてしまいました。
しかし、2人が再び巡り合う運命を迎えるのは、まさに奇跡的な瞬間でした。
彗星落下後の糸守町訪問
2016年、瀧は再び三葉に会うことができない現実に直面し、彼女の故郷である「糸守町」を訪れます。
そこで、彗星の落下によって三葉が亡くなっていたことを知り、彼女への想いを胸に、洞窟で三葉の口噛み酒を口にします。
この口噛み酒は三葉の魂の一部として、彼と三葉を結びつける媒介となりました。
組紐による魂の結びつき
組紐もまた、瀧と三葉の絆を象徴する重要な要素でした。
組紐を介して瀧は三葉の記憶を受け取り、彗星が落下したその日の三葉と入れ替わることができました。これにより、2人は異なる時間軸を超えて結びつきを果たします。
三葉の気づきと入れ替わり
一方で、三葉もまた瀧の体を通して自分が3年前に亡くなっていたことを悟ります。
そして2人は山頂を目指し、同じ場所にたどり着きました。
その瞬間、「かたわれどき」という不思議な時間が訪れます。「かたわれどき」とは、片割れである半身に出会う瞬間を意味しています。
時空を超えた再会
異なる時間軸で同じ場所にいた2人は、あの世とこの世の境界がぼやける特別な瞬間を迎え、再び巡り合うことができました。
君の名は。「かたわれどき」とは?
「かたわれどき」に秘められた意味とは
瀧と三葉が最終的に再会できた理由には、「かたわれどき」と呼ばれる特別な時間が関係しています。
この言葉は漢字で「片割れ時」と表され、その意味を深掘りしていきましょう。
「かたわれどき」の時間帯について
「かたわれどき」とは、具体的には夕暮れ時や夕方の薄暗い時間帯を指します。
日が沈むにつれて暗くなり、周囲の光が薄れるため、相手の顔もよく見えなくなる時間帯です。
糸守町に伝わる架空の言葉
この「かたわれどき」は、糸守町の方言として映画「君の名は」で登場した架空の表現であり、一般的な辞書には載っていません。映画内で奇跡的に瀧と三葉が巡り会えた背景にも、この「かたわれどき」が大きく影響しているのです。
入れ替わりで結ばれた二人の「片割れ」が、この時間に再び出会うことができたのです。
映画のラストシーンに隠された意味
物語のラストでは、瀧と三葉が記憶を失った状態で再び巡り会います。
感動的な瞬間であり、彼らは無意識のうちにずっと「誰か」を探し続けていたのです。
そして、電車ですれ違いながら互いに「探していた存在」であると感じます。
その後、須賀神社の階段で再会する場面へと繋がります。
神社の階段と「あの世」と「現世」
神社の階段は、上が「あの世」、下が「現世」を象徴すると考えられます。
階段を下りてくる三葉は「彼岸から此岸へ」、逆に登っていく瀧は「此岸から彼岸へ」向かっているのです。
この階段は二人が忘れていた記憶の象徴としても描かれており、2人の再会は現実を超えた深いつながりを感じさせる場面です。
まとめ考察
「君の名は」の中で描かれる運命的な出会いや別れ、そして時間や空間を超えたつながりがいかに特別で深いものであるかということです。物語の象徴である「かたわれどき」という言葉を通じて、夕暮れ時の一瞬に現れる「境界」の存在を示し、それが現世とあの世、現実と夢、さらには過去と未来をつなぐ鍵となることを表しています。
この境界の時間に出会うことで、瀧と三葉という二人の魂が再び交わり、互いに探し求めていた「片割れ」としての存在に気づくことができたのです。
また、須賀神社の階段での再会は、あの世と現世の境界を行き来する象徴的な場所として描かれており、神聖な場所が二人の出会いの舞台となることで、彼らのつながりが単なる偶然ではなく、運命的な必然であったことを示唆しています。
記憶を失いながらも互いに「探していた」と感じる二人の姿は、忘れられないほど強い絆や、失われた時間の中でなお残る魂の結びつきの深さを浮き彫りにしています。
「君の名は」の物語は、愛や記憶、そして魂のつながりが、時間や場所にとらわれずに存在するという普遍的なテーマを描き出しています。